昆布と「うま味」の発見:北前船が運んだだしの文化

北海道の昆布は、江戸時代に北前船で大坂や京都、さらに琉球まで運ばれ、各地のだし文化を育てました。1908年に池田菊苗が明らかにした「うま味」の正体とあわせて紹介します。

干されている昆布
写真:MIYAZAKI HIROSHI & N73(CC BY 2.0)/Flickr
目次
  1. 北の海からの贈り物
  2. 北前船と「昆布ロード」
  3. 池田菊苗と「うま味」の発見
  4. 世界に広がった「UMAMI」
  5. まとめ

和食の味の土台となる「だし」。なかでも昆布は、かつお節と並ぶだしの代表的な素材です。しかし、昆布の主な産地は北海道で、関西や沖縄の海ではほとんど採れません。それにもかかわらず、昆布は西日本の食文化に深く根づいています。その背景には、日本海をめぐる長い交易の歴史がありました。

北の海からの贈り物

昆布は、北海道や東北地方の沿岸など、冷たい海で育つ海藻です。奈良時代の歴史書『続日本紀(しょくにほんぎ)』には、現在の東北地方の人々が昆布を朝廷に献上していたことをうかがわせる記述があり、古くから貴重な産物として扱われていたことがわかります。

ただし、昆布が全国に広く流通するようになったのは、海運が発達した江戸時代以降のことです。

北前船と「昆布ロード」

江戸時代中期から明治時代にかけて、北海道と大坂を日本海回りで結んだ商船が「北前船(きたまえぶね)」です。北前船は寄港地で商品を売り買いしながら航海する「買積み船」で、北海道からはニシンや昆布などの海産物を、上方からは米や塩、酒、衣類などを運びました。

北前船によって大量の昆布が大坂へ運ばれたことで、大坂や京都では昆布を使っただしの文化が花開きました。福井県の敦賀では、昆布を薄く削る「おぼろ昆布」や「とろろ昆布」の加工も発展します。

昆布の流れは上方で終わりませんでした。昆布は薩摩(現在の鹿児島県)を経て琉球(沖縄)へ、さらに琉球を通じて中国へも運ばれたといわれています。北海道から沖縄、中国へと続くこの流通の道は、「昆布ロード」と呼ばれることがあります。昆布を産しない沖縄で、昆布を炒め煮にした「クーブイリチー」などの料理が親しまれているのは、この交易の名残です。

池田菊苗と「うま味」の発見

昆布のだしはなぜおいしいのか。その答えを科学的に明らかにしたのが、東京帝国大学の化学者、池田菊苗(いけだきくなえ)です。

池田は、甘味・酸味・塩味・苦味のどれにも当てはまらない、湯豆腐の昆布だしの味に注目しました。研究の末、1908年(明治41年)に昆布だしの味の正体がグルタミン酸であることを突き止め、この味を「うま味」と名づけました。翌年には、グルタミン酸ナトリウムを主成分とするうま味調味料が商品化されています。

その後、日本の研究者によって、ほかのうま味成分も次々と見つかりました。

成分多く含まれる食材発見
グルタミン酸昆布、トマト、チーズなど1908年 池田菊苗
イノシン酸かつお節、煮干し、肉など1913年 小玉新太郎
グアニル酸干ししいたけなど1957年 國中明

グルタミン酸とイノシン酸を組み合わせると、うま味が単独のときよりも強く感じられる「相乗効果」があることも明らかになりました。昆布とかつお節を合わせる「合わせだし」は、経験的にこの効果を生かした知恵だったといえます。かつお節の歴史については「かつお節ができるまで」で詳しく紹介しています。

世界に広がった「UMAMI」

長いあいだ、うま味は国際的に基本味の一つとして広く認められていたわけではありませんでした。しかし、2000年代初めに舌にあるうま味の受容体が報告されたことなどをきっかけに、うま味は甘味・酸味・塩味・苦味と並ぶ基本味として受け入れられるようになりました。現在、「UMAMI」は英語などでもそのまま使われる言葉になっています。

まとめ

  • 昆布は北海道など北の海の産物で、古代から朝廷への献上品として扱われた
  • 江戸時代、北前船によって大坂・京都へ大量に運ばれ、上方のだし文化を育てた
  • 昆布は薩摩・琉球を経て中国まで届き、その流れは「昆布ロード」と呼ばれる
  • 1908年、池田菊苗が昆布だしのうま味成分グルタミン酸を発見した
  • 合わせだしは、うま味の相乗効果を生かした経験の知恵だった

一枚の昆布には、北の海の恵みと、それを運んだ人々の航海の歴史が重なっています。

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