かまどから電気炊飯器へ:ご飯を炊く道具の歴史

「はじめチョロチョロ中パッパ」。かつてご飯を炊くことは、火加減の経験が必要な台所の大仕事でした。土器での煮炊き、かまどの伝来、羽釜、そして1955年の自動式電気釜の登場までをたどります。

羽釜をかけた古民家のかまど(小平ふるさと村)
写真:super overdrive(CC BY 2.0)/Flickr
目次
  1. 煮るか、蒸すか
  2. かまどの伝来
  3. 羽釜と「炊き干し」
  4. 自動式電気釜の登場
  5. 保温、マイコン、IHへ
  6. まとめ

スイッチ一つでおいしいご飯が炊ける現代。しかし、ほんの数十年前まで、ご飯を炊くことは早起きと火加減の技術を必要とする大仕事でした。日本人の主食である米を、人々はどのような道具で調理してきたのでしょうか。

煮るか、蒸すか

日本で本格的な稲作が始まった弥生時代、米は主に土器で煮炊きされていたと考えられています。

古墳時代になると、底に穴のあいた「甑(こしき)」という器を使い、米を蒸して食べる方法も広まりました。平安時代の貴族の食事では、蒸した米である「強飯(こわいい)」が正式なものとされる一方、水を加えて煮たやわらかい「姫飯(ひめいい)」も食べられていました。現在のご飯に近いのは、この姫飯のほうです。

かまどの伝来

古墳時代の5世紀ごろ、朝鮮半島から「かまど(竈)」が伝わったとされています。それまでの住居では床の中央にある炉で煮炊きをしていましたが、竪穴住居の壁際に、土で作ったかまどが設けられるようになりました。

かまどは、焚き口から薪をくべ、上にのせた鍋や釜を効率よく加熱できる設備です。熱が逃げにくく、少ない燃料で強い火力を得られるため、米を炊く道具として長く使われていきます。

羽釜と「炊き干し」

江戸時代には、かまどに羽釜(はがま)をかけ、厚い木の蓋をしてご飯を炊く方法が一般的になりました。羽釜は、胴のまわりに「羽」と呼ばれるつばが付いた釜で、かまどの穴にぴったりはまり、熱を効率よく伝えます。

米に適量の水を加えて炊き、水分がなくなるまで加熱してから蒸らす方法は「炊き干し法」と呼ばれ、現在の炊飯の基本にもなっています。

「はじめチョロチョロ中パッパ、赤子泣いても蓋取るな」という言葉は、火加減のコツを伝えるものとして知られています。弱火から始めて、途中で火を強め、炊き上がったら蓋を開けずにじっくり蒸らす。薪の火を調整しながらこれを行うには、経験と勘が必要でした。

自動式電気釜の登場

戦後、台所の電化が進むなかで、炊飯の自動化にも挑戦が続きました。1955年、東芝が自動式の電気釜を発売します。釜を二重にし、外釜に入れた水が蒸発して温度が上がるとスイッチが自動的に切れる「二重釜間接炊き」という仕組みによって、火加減を見守らなくてもご飯が炊けるようになりました。

タイマーと組み合わせれば、夜のうちに米を仕掛けておき、朝に炊き上げることもできます。早朝から台所に立ち、かまどの火をおこしていた家事の負担は大きく軽くなりました。自動式電気釜は短期間で全国の家庭に広まり、戦後の暮らしを変えた家電の一つといわれています。

保温、マイコン、IHへ

その後、炊飯器は次々と進化していきました。

  • 炊いたご飯を温かいまま保つ保温機能
  • マイコン(マイクロコンピューター)による細やかな加熱の制御
  • 内釜そのものを発熱させるIH(電磁誘導加熱)方式
  • 圧力をかけて炊き上げる圧力IH方式

近年は、土鍋風の内釜や、かまど炊きの味わいを再現することをうたう製品も登場しています。道具は変わっても、「かまどで炊いたようなご飯」は、いまもおいしさの目標であり続けているのです。

まとめ

  • 弥生時代には土器で米を煮炊きし、古墳時代には甑で蒸す方法も広まった
  • 古墳時代にかまどが伝わり、効率よく米を炊けるようになった
  • 江戸時代には、かまどと羽釜による炊き干し法が一般的になった
  • 1955年の自動式電気釜の登場で、炊飯の手間が大きく減った
  • その後、保温、マイコン、IHへと炊飯器は進化を続けている

毎日のご飯を支えてきた道具の歴史は、台所で働く人々の負担をどう減らすかという工夫の歴史でもあります。

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